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知っテミル

知的障碍者の仕事

ぷれいすBe 松上利男氏 インタビュー
~授産施設の「これまで」と「これから」~ 01

1. 知的障碍者授産施設との出会い

■船谷博生(以下F):
今までの知的障碍者の仕事に関してお伺いしたいと思うのですけど。

■松上利男氏(以下M):
この仕事について36年経つと思います。

■F:
はい。「36年前」と「今」、のお話と伺えればと思うのですが、一番、最初はどちらの方で働かれたのですか?

■M:
一番初めはね、私自身、本当は知的障害のある児童施設で働きたかったんですね。たまたま、学童保育の試験をうけて、京都市の。そうしたら次の日、市役所の障害福祉課の課長さんから電話がかかって来て、「今すぐ来い」と。そして、すぐ(市役所)に行ったんですよ。そしたら、当時、もうそんなね、福祉施設で働くという人はいなかったんですね。誰でも良かった、とにかく人が欲しかったというのがあったと思うんですね。男性で、大学も出ているということで条件にもあっていたと思うんです。

それで課長さんから「今から施設見学に行こう」といわれて、公用車に乗せられて、京都の知的障害者授産施設に行ったんですね。そこは、陶芸の仕事をしていました。それから、あとは縫製の仕事や箱折りをしてて、なんか、昔も今も変わらないことですね。で、見学の後、課長さんに「ここで働いたらどうや?」といわれたんですね。そしたら園長さんが「そしたら明日の8時30分に出勤して下さい」と言うわけ。「えっ??だけど、私は何も決心をしていないんですけど・・・、まして、何をするんですか?陶芸なんかしたこともないです。」と答えると、課長さんが「分かってる。はじめは誰も出来ないから。まぁ、慣れながらしてもらえたらええよ」と。職員が辞めて後がなかったみたいなんですね。

それで私は「あ~、そうか。まぁいいか。」で、「服装はどういう服装で?」と聞くと、園長さんは「いやいや、明日から作業着になるから、汚れてもいいもので来てください。」、それから始まったんですね。だから、初めから成人で通所の知的障碍の授産施設で働くということは考えていなかったんですね。で、陶芸がわかりませんよね。はじめ、陶芸を始めたときに、もう一人職員がいて男性の、それで始めて聞いたんですけど、「練り3年」って聞いたんですよ。「練るので3年!!」って愕然として、これ「3年間も練らなあかんのか」という思いもあって、だけどはじめたところだったんでね。

「原価を割る仕事で当たり前に赤字」

■M:
あるお寺の「かわらけ」を作っていました。「かわらけ」は厄除けのお皿で、お皿を素焼きにして…「厄除」の文字が入ったものですね。それを高台から、こう投げるわけですね。それが厄よけになると。で、それを5枚か5枚セットでいくらかで売っているわけです。それを施設で焼いてたんですね。それで、私が施設に行ってから原価計算したんですよね。そしたら、原価を割っていて赤字だったんですよね。「これは、ひどいよね~」って。もうはじめから、原価もちゃんと計算していないで、お寺のいう値段で卸していたと。それから、お寺と交渉して値段を上げてもらったのですけど。